【条文】
(国民の責務)
第八条 国民は、基本理念にのっとり、人工知能関連技術に対する理解と関心を深めるとともに、第四条の規定に基づき国が実施する施策及び第五条の規定に基づき地方公共団体が実施する施策に協力するよう努めるものとする。う努めるものとする。
概要
本条は、AI推進法における国民一般の責務を規定する条文である。条文構造としては、第6条(研究開発機関の責務)、第7条(活用事業者の責務)と並び、人工知能関連技術の利活用に関わる各主体に期待される行動を定めたものである。本条の特徴は、国民に対して「理解と関心を深めること」および「施策への協力」を促す点にあり、いわばこの法律における民主的基盤の役割を担っている。
解説
一 国民の責務を明示する意義
法律上、「国民の責務」を明示する条文は必ずしも一般的ではないが、AI推進法においては本条により明示的に位置づけられている。その背景には、人工知能関連技術の利活用が、専門家や企業のみならず、社会全体の理解と信頼の上に成り立つものであるという認識がある。
とりわけ、第3条第4項においてAI活用にはプライバシー侵害や著作権侵害等のリスクが伴うことが明記されていることから、利用者や社会一般の理解が不十分であると、社会的反発や誤解が生じ、結果としてAI活用そのものが阻害される可能性がある。
したがって、本条の趣旨は、国民を受動的な対象として扱うのではなく、能動的な理解者・協力者として捉える法的スタンスを明示した点に意義がある。
二 基本理念との接続性
本条においても、他の責務規定と同様に「基本理念にのっとり」という接続句が用いられている。第3条に定める基本理念は5項にわたり、多層的に構成されているが、国民との関連が特に深いのは以下の点である。
- 第3条第2項:AIが行政・産業に資すると同時に、安全保障上も重要な技術であるという理解の共有
- 第3条第4項:AIが不適切に用いられた場合の社会的リスクに対する感受性
- 第3条第5項:国際社会との協調の中で、日本の市民が果たす役割の自覚
国民にこれらの理念を理解し、支持することが、AI政策の基盤整備に直結するという立法趣旨が示されている。
三 「理解と関心を深める」とは何か
本条は、義務的な行動よりも、まずは態度的な要請に重点を置いている。すなわち、技術に対する「理解」と「関心」である。ここでの「理解」は、技術的な詳細ではなく、社会的・経済的影響や基本的な仕組みに関する認識を意味し、「関心」はそれらに対する知的な関与や問題意識を指す。
具体的には以下のような行動が該当すると考えられる。
- 学校教育や社会教育を通じたAIリテラシーの向上
- ニュース報道や政府広報への注視
- 消費者としてAIサービスを選択的に利用・評価する行動
この点は、第15条が教育・広報活動の重要性を強調していることとも呼応している。
四 「施策に協力するよう努める」ことの意味
第8条後段では、国及び地方公共団体の施策への「協力」が国民にも求められている。ここでの「協力」は、第四条および第5条に基づいて国や地方が展開する具体的な施策に対して、自発的に支援的な行動を取ることを指す。たとえば以下のような形があり得る。
- 行政が実施するAI関連イベントや公開討論への参加
- 公共サービスにおけるAI導入に対するフィードバックの提供
- 地域におけるAI活用実証事業に対する理解と協力
このような「協力」は法律上の強制力はないが、行政と市民の間の信頼形成や制度実装の円滑化に不可欠な要素である。
五 企業法務への示唆
一見すると本条は企業法務と無関係のように見えるが、実際には企業活動にも間接的な影響を与えうる条文である。企業が開発・提供するAIサービスに対して、社会一般の理解と信頼がなければ、その受容性は著しく損なわれる。
例えば、以下のような場面において本条の趣旨は実務的に影響しうる。
- サービス提供にあたっての利用者への情報開示(利用規約、プライバシーポリシー等)
- 社会的説明責任を果たす広報活動
- ユーザー教育としてのマニュアル整備やFAQの充実
これらは、単なる企業努力ではなく、法律が定める「社会的期待」を汲み取った対応として、より制度的な意味を持ち始めてくることも考えられる。
まとめ
第8条は、AI技術がもたらす社会的変化に対して、国民全体が「傍観者」であることを排し、むしろ「当事者」としての姿勢を持つべきことを制度的に宣言した条文である。
本条が目指す方向性は以下の通りである。
- 国民がAIに対して自律的な理解者・批判者・協力者となることで、技術導入の社会的正統性を確保する
- 行政による施策の実効性を担保するために、市民の協力が不可欠であることを明示する
- 長期的にはAIに関する社会的リテラシーの醸成を通じて、持続可能なイノベーション環境を構築する
AI推進法の中でも、本条は理念的な性格が強いが、まさにこのような「理念」の共有が、技術社会における公共の安定に不可欠であることを、法の言葉として明確にした点に、本条の深い意義がある。
慶應義塾大学大学院博士課程を経て、大学の常勤研究員として「法律エキスパートシステム」(旧世代AIによる法的推論支援)の研究に従事。その後、国会議員の政策担当秘書として、制度設計や立法の実務に携わる。現在は、公共政策の知見を活かした予防法務サービスを展開している。
著書:『10分でサクッとわかるAI推進法』